日本から見た「ベトナム」

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日本から見た「ベトナム」

今回は日本から見た「ベトナム」のイメージについてお話します。多くのベトナムの人は日本のことを、良く知ってくれていますが、日本の人の中には、まだベトナムのことを、よく知らない人がいます。

ベトナムと日本はとても良い関係の国ですが、お互いのことをもっと知るためには、たくさんの人と人が、交流することが必要だと思います。今回は、日本人が持つ「ベトナム」のイメージについて、お話したいと思います。

外国に対するイメージ

自分の国のことを海外の人はどのように思っているのか、気になりますよね。 例えば、日本の人は「アフリカ」と聞くと、「ゾウやライオンがいる、広い草原」というイメージを持ちますが、南アフリカ共和国などには、たくさんのビルが建っていて、イメージよりも、都会とかいであることに、おどろきます。

それではみなさん、「日本」が世界で、どのように思われているか、知っていますか。日本はまだ、世界中で有名だ、とはいえません。日本の場所や、名前を知らないヨーロッパの人たちはたくさんいて、今も「サムライやニンジャがいる国」だと思っている人も多いようです。

ずっと昔のまま、その国のイメージが変わっていないことはよくあるのです。

ベトナムのイメージ

1970年代のべトナム

私がベトナムのことを初めて知ったのは、中学生の頃です。歴史の教科書で「ベトナム戦争」について勉強したときでした。このとき見た戦争の写真を、今でも覚えています。子供を抱えた女性が川を渡っているところ、服を着ていない子供が泣きながら走っているところ、当時学生だった私には印象的いんしょうてきでした。

私たち日本人がベトナムのことを初めて知るきっかけは、この1970年代のベトナムであることが多いです。そして、日本人にとって「ベトナム」が、この「1970年代のベトナム」のイメージで止まっていることが多いです。

私も2018年にベトナムに来たとき、会社の人や友だちから、「戦争があった国だが、安全なのか」と心配されてきました。また、ベトナムが東南アジアの、どのあたりにある国なのか、を知っている人は多くありませんでした。

ベトナムの有名人

日本人にとって、一番有名なベトナム人は「ベトちゃん」「ドクちゃん」だと言えます。この二人についても、日本人は学校の教科書で知るのです。日本も経験していますが「戦争」によって、多くの被害ひがいを受けたベトナムと、その中で、たくましく生きる人々、「ベトちゃん」「ドクちゃん」は、とても印象的です。

ドクちゃんは、今も日本のテレビに出演しゅつえんすることがあり、日本のことが大好きだと話していました。(日本では親しみをこめて、「ちゃん」と付けて呼んでいます。)

ベトナムの旅行、食べ物

1970年代のイメージで止まっていた「ベトナム」のイメージは、最近変わりつつあります。それはベトナムのダナン、ホイアンをはじめ有名な観光地が、たくさん日本のメディアで、取り上げられるようになったからです。

ベトナムに来る日本人は、毎年、数を増やしていて、2018年は80万人の日本人がベトナムに来ました。日本の旅行会社では「ベトナムツアー」が作られたり、LCCのエアラインが増えたりして、ベトナムと日本は、どんどんと、近くて、親しい国になっています。

ここ1~2年は、週に1回は必ずベトナムのことについて、テレビでやっているほど、日本は「ベトナム」に注目しています。最近ではベトナム料理の専門家がテレビで料理をしたり、ハノイやホーチミンを歩いて食べ物を紹介する番組が多いです。ベトナム料理は日本人の口に合う、と言われていて、特に女性の間で流行っています。

活躍するベトナム人

「日本で働く外国人の人数」について、ベトナムは世界で2番目に多い国になりました。日本で町を歩けば、ベトナム人とすれ違うことも最近増えてきました。コンビニに行けば「グエンさん」や「チャンさん」と名札を付けたベトナム人のスタッフが、レジで接客をしてくれます。みなさん本当に日本語が上手で、日本の人たちは驚き、尊敬しています。

日本でベトナムの人がたくさん増えたことについては、ベトナムに行ったことがない日本人でもよく気づいています。私は日本に帰ると、友だちや家族から、「ベトナム人の知り合いができた」と、よく聞くようになりました。

私は昨年、日本に帰ったとき、昔から「行きつけ」のラーメン屋に行きました。すると店員さんが3人、みんなベトナム人だったのです。私はそれを、彼らの会話からベトナムの人だと分かりました。

食べ終わって帰るときに「シンチャオ」というと、3人とも驚いていました。彼らにとって「ベトナム語」を知っている日本人は、とてもめずらしかったのだと思います。

ベトナムの経済

ベトナムがテレビで注目されているのは、観光地や食べ物だけではありません。ベトナムの「経済成長けいざいせいちょう」については、多くのメディアが注目を集めています。かつて、日本にも「経済成長」をしているときがありました。

日本人の中には「いまのベトナムは、1970年の日本のと同じだ」と言う人がいます。1970年代の日本とは、東京オリンピックを終え、さらなる経済成長をし、「明日はもっといい日になる」と希望をもって、人々が仕事をしていた時代です。

今の日本は残念ながら違います。1990年ごろに、日本の経済は、株や不動産の価値が下がることなどが原因となり、経済成長はストップしてしまいます。このことを日本語では「バブル崩壊ほうかい」と言います。バブル(あわ)のようにふくらんで、無くなったことを表現しています。

このときに比べて、今の日本経済は、安定してきましたが、1970年~80年代の「元気な日本」をなつかしむ人は多いです。

そんな日本にとって、ベトナムの「いま」は、とてもうらやましいものなのです。元気がなくなった「日本」から海外に出て、成長するベトナムでビジネスをしたいと考える日本企業が増えています。

またベトナムの発展のために、橋やビルの建設において、日本のテクノロジーがたくさん使われていることは、日本人にとっての「よろこび」であり、「ほこりり」になっています。

米朝首脳会談べいちょうしゅのうかいだん

ベトナムの「いま」を知るきっかけには、2019年2月に行われた、アメリカのトランプ大統領と、北朝鮮の金正恩委員長の米朝首脳会談もあげられます。このとき日本のメディアは、100社以上がハノイに集まり、会談の様子や、ハノイの街並みを紹介していました。

必ずと言っていいほど、多くのメディアが、ハノイのバイクの多さについて、レポートしていました。レポーターが道を渡れなくて困っていると、手を握って、一緒に渡ってくれるベトナムの人のやさしさについて、紹介していました。

まとめ

戦争によって、悲しい過去があるベトナムと日本は、様々な苦しみをのりこえて、今の平和な時代があります。人々と文化が深くかかわり、お互いのことを知り、ベトナムと日本はもっといいパートナーシップを作れると思っています。これから日本の人と話す機会があったら、ぜひお互いの国のことを話し合って「きずな」を深めてください。