今回は「日本人でもあまり知らない」日本の歴史人物についてお話をします。
日本の有名な歴史人物は、みなさんすでに、知っているひとが多いと思うので、あまり知られていないけれど、すごい人を紹介していきます。
伊能忠敬(1745–1818)
このシリーズの一人目は「伊能忠敬」です。この人は江戸時代に、日本で初めて「日本の地図」を作った人です。
今の時代では、宇宙にある衛星(サテライト)から、地図を見ることが出来ますよね。
そのようなものが無い時代に、40,000Kmを、17年をかけて地図を作ったのが「伊能忠敬」です。著作権(Copyright)の関係で、ここで見せられないのですがGoogleなどで、「伊能忠敬 日本地図」で検索してみてください。
見てもらうと、今の日本地図と、ほとんど変わらないことが、わかると思います。このような正確な地図を、コンピューターもない時代に、どのようにして書いたのでしょうか。
伊能忠敬のおいたち
伊能忠敬は東京のとなり、千葉県で生まれ、もともとはモノを売る仕事をしていました。50才になったとき、数学を勉強しようと決めて、 いろいろなことに興味をもった伊能忠敬は「地球の大きさは、どのくらいなのだろう」と考えるようになりました。これが地図を作る「はじまり」になりました。
日本地図ができるまで
伊能忠敬は仲間たちと協力をして日本中を歩き回り、棒やヒモで、歩きながら長さを測り、また太陽や星の位置を見ながら、地図を作りました。
実は、はじめてから17年が過ぎて、地図ができるまえに、伊能忠敬は亡くなってしまいました。そのあと、伊能忠敬の夢をかなえるために、仲間たちが完成させ、当時の人たちを驚かせました。
そのころ、日本には「地図」がありましたが、どれも正しいものではありませんでした。伊能忠敬と仲間たちが作った「日本地図」はとても有名になり、あまりの正確さに、外国の人たちも「ほしい」とお願いをしてきたそうです。
まわりが海でかこまれている日本は、他の国が、日本に攻撃してきたときに、役にたつ地図がなかったので、日本政府はこの地図に大変驚きました。そして伊能忠敬が知りたかった「地球の大きさ」についても、大きな計算の間違いはなく、約40,000㎞であると答えを出していたのです。
まとめ
伊能忠敬は55才から地図を作り始め、結果40,000Kmを歩き続けました。これは地球を一周する長さです。日本では「50才を超えて歩き続けたこと」「50才を超えて勉強を始め、自分のわからないことを知ろうと努力したこと」このことが「すごい人!」といわれている理由です。
これからもたくさんのすごい人!を紹介していきたいと思います。